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思い出の弁当

投稿日:

うちは母親の得意なおかずがナスを炒めてあんかけにしたやつだったんだけど
確かに美味しいんだけど弁当のおかずにされるのは恥ずかしくて嫌だったんだ。
見た目がどうもね、良くなくてさ。
でも嫌だとは言えず週に3・4回は食べてた。

成人して間もない頃に母が死に、まだその死の実感が湧かないうちに上京して、
食費浮かそうと思って弁当生活始めたんだけど、
どうしてもあのナスが食べたくてさ、アレがないと物足りないんだよね。

でも作れないんだよね、おんなじように。
そん時ふと「あ、おかんに訊いたらええんやん」と思ったんだ。
で、やっと実感したんだよね、母はもういないんだ、訊けないんだ、って事。

味の違うナス弁当に詰めながら顔パンパンに腫れるまで泣いた。
仕事の昼休み、食べる時にもまた泣いてしまって、他の人を困らせた。

上京して10年、ようやく母の味に近づいてきたけど弁当のおかずには
その日以来一度もしてない。
弁当にナス炒めは私にとっては切ないメニューだから。

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つい先日お母さんが白血病で入院して、それからは私が料理を作ることになりました。
夕飯も大変だけど、一番はやっぱりお弁当が大変。
私も兄も高校生でただでさえ朝は早くて忙しいのに輪をかけて忙しくて、
でもあまり冷食には手を出さないようがんばっているんですが、
一生懸命作ったお弁当は何か物足りなくて、いっつも兄と父に申し訳ないです。
それと同時にお母さんの偉大さを実感しました。

お弁当は作ってもらって当たり前だと思っていたけど、今はそんなことこれっぽっちも感じない。
台所に立って初めてお母さんの気持ちが分かった。
もうすぐ夏休みなので、これを機に料理の練習して新学期からは満足のいくお弁当を作れるようになりたいです。
お母さん、本当にありがとう。私もお母さんの味を再現できるようがんばるよ。

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独身の男が40を過ぎて、学生に戻りました。
ここを読んでいたので、母に週に何度か弁当を作ってもらってます。
すっかり茶色い弁当が大好きになりました。
でも、母は「もう、20年も生きられないからさびしい」とよく言います。
そんな時、弁当の味が染み渡ります。
仕事もせずに、学生に戻ったことも、
厚かましく弁当を作ってもらっていることも、感謝してます。
これも、ここのみなさんのおかげです。
親孝行は、できそうにないけど、精一杯甘えています。ありがとう。

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嫁と去年離婚、息子は俺が引き取った
離婚の原因は夫婦の感情だけの問題で子供は関係ない
が、理由はどうあれいきなり小学2年の育ち盛りのご飯を
俺が作ることになった

もともと学生時代は食堂でバイトしてたし料理は好きだ
会社も家から近いので晩御飯なんかはそんなに苦ではない
しかし弁当は違ったよ なんせ量の加減が難しい
決められたスペースにきっちり収めないといけないし
学校でほかの子に見られても恥ずかしくないようにいろどりも重要だ
毎朝5時半に起きてあーでもないこーでもないと頭をひねってた

でもそんな弁当がいつまでも続くわけでもなく3ヶ月ぐらいで
俺は息子に500円玉をわたすようになってしまった…

そんな時に母の弁当を思い出した
前日の残りや冷蔵庫の常備のおかず(ひじきの炊いたのや漬物、佃煮とか)が
微妙に前日とかぶらないようにアレンジが加えてあった弁当
俺は鶏のそぼろを混ぜた炒りたまごが大好きでそれがおかずの日の弁当は
「母ちゃん、メシきっちり詰めといてくれよ!」
と言ってずっしり重い弁当箱を持って通学してた

何の気なしに食ってたあの弁当を思い出してまた息子の弁当を作り始めた
母ちゃんが逝っちまって10年も経つのに驚くほど味を覚えてる
でんぶや大葉やゆでたまごで色彩豊かにしてくれてたのも思い出した
どうしても作り方のわからないものは姉に電話して聞いた
「あーあれなー、あれ実はアタシの初恋の人に弁当作ったげようと思って
母ちゃんに教わってたからよー覚えてんでー」
と、俺が知らなかった母と姉のエピソードまで聞いた

息子が俺の弁当を喜んで持っていくようになった最近、
嫁から「やりなおしたい」って電話をもらった
正直、なにをいまさらって気持ちもあったけど
息子がこのまま母の味を知らないまま大きくなるのは
なんだかとても悲しいことのように思えた

俺と嫁もまたまだまだ母ちゃんや父ちゃんの領域には達していない
これからも喧嘩やいざこざを繰り返していくかもしれないけど
それでも息子のためにもチャレンジを繰り返していかないとって思えた

母ちゃんはこんなに大きくなった俺にまだ影響を残している
嫁とこれからどうなっていくか、まだまだ不安もあるけど
でも、俺も弁当のおかずは作りつづけようと思う

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うちは親父が幼稚園くらいの頃ガンで死んで母親が働き始めた。
母は毎日毎日夜遅くまで働いてたから朝は仕事行くまでぐっすり寝てた。
だから中学校の時の弁当はいつも祖母が作ってたよ。
周りとは違うんだ、弁当。
祖母の料理は美味しいんだけど他の子の弁当と比べたら古臭いっつーか。
ある日友達が小さいオムライスを作ってもらってて羨ましくなったから、
祖母にオムライスを作ってくれと頼んだ。
でも祖母はオムライスというものがよく分からんと言い出した。
俺は親父が死んで家族のみんなが死人みたいになったのを見たときから、
絶対家族迷惑とかかけちゃいけない、何事にも文句は付けないって決めてた。
でもなにかが吹っ切れた。今まで溜まってたなにかが吹っ切れた。
だから祖母に文句を言った。オムライスくらい作れって。
なんで母親は俺の親なのに弁当作らないのかって叫んだ。
そしたら祖母はおお泣きし始めた。ごめんね、ごめんねって謝り続けた。
祖母がおお泣きしたのは親父が死んだ日以来だった。
その後家にあった料理の本全部出してオムライス作り始めた。
次の日の弁当には、2段弁当とは別の入れ物に、でっかいオムライスが入ってた。
すっげー美味いんだそれが。初めて作ったとは思えないくらい。
その祖母はちょうど2年前くらいに膵臓の病気で死んだんだけど、
死ぬ数ヶ月に母に言ったらしい。俺に定期的にオムライスを作ってやってくれって。
もうそれ聞いた瞬間どうしようかと思ったよ。涙が止まらなかった。
だからここで言う。
お婆ちゃん、ほんと美味かったよ。オムライス。

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うちは親父が幼稚園くらいの頃ガンで死んで母親が働き始めた。
母は毎日毎日夜遅くまで働いてたから朝は仕事行くまでぐっすり寝てた。
だから中学校の時の弁当はいつも祖母が作ってたよ。
周りとは違うんだ、弁当。
祖母の料理は美味しいんだけど他の子の弁当と比べたら古臭いっつーか。
ある日友達が小さいオムライスを作ってもらってて羨ましくなったから、
祖母にオムライスを作ってくれと頼んだ。
でも祖母はオムライスというものがよく分からんと言い出した。
俺は親父が死んで家族のみんなが死人みたいになったのを見たときから、
絶対家族迷惑とかかけちゃいけない、何事にも文句は付けないって決めてた。
でもなにかが吹っ切れた。今まで溜まってたなにかが吹っ切れた。
だから祖母に文句を言った。オムライスくらい作れって。
なんで母親は俺の親なのに弁当作らないのかって叫んだ。
そしたら祖母はおお泣きし始めた。ごめんね、ごめんねって謝り続けた。
祖母がおお泣きしたのは親父が死んだ日以来だった。
その後家にあった料理の本全部出してオムライス作り始めた。
次の日の弁当には、2段弁当とは別の入れ物に、でっかいオムライスが入ってた。
すっげー美味いんだそれが。初めて作ったとは思えないくらい。
その祖母はちょうど2年前くらいに膵臓の病気で死んだんだけど、
死ぬ数ヶ月に母に言ったらしい。俺に定期的にオムライスを作ってやってくれって。
もうそれ聞いた瞬間どうしようかと思ったよ。涙が止まらなかった。
だからここで言う。
お婆ちゃん、ほんと美味かったよ。オムライス。

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きっとやさしいからいつも唐揚げなのは嫌だ、って言えなかったんだよ。
もしくは言ったとしても
「おばあちゃん年寄りくさいものしか作れないから皆に見られたら恥ずかしいんじゃないかな」
なんて思って入れなかったのかもしれないよ。
うちのばーちゃんがそうだった。
私の好きなものをと思ってよく唐揚げとかカツとか入れてくれたけどあまりにもアブラモノが続くから
たまには変えてって言ったらそう言われた。
母が入院してる数ヶ月の間の事だったけど嬉しかった。
ばーちゃん朝起きるの早いのにする事ないから喜んで作ってくれてたなぁ。
元旦に私が初めて作ったお雑煮食べてもらおうと思ってたのに、母が呼びに言ったら寝室で眠るように死んでた。
だから正月がばーちゃんの命日。
お弁当じゃないけどこの時期お重につまったおせち見本見る度にばーちゃん思い出すよ。

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実家の近くで朝早くから仕事があったので、
昨夜、しばらくぶりで生家を訪れた。
半分雪に埋もれてた。

そういや年末も友人と遊びに行ってて帰って無かった。

今朝起きたら茶の間の卓に弁当が置いてあった。
母ちゃんは台所で目玉焼きを焼いてた。

早朝出発だったので「朝飯イラね」といってたんだけど、
弁当まで作ってもらってた。
高校以来の母ちゃんの弁当だ。

もう俺ボロボロ泣いちゃって朝飯なんか照れくさくて食えなくって
「時間無いから、いかねぇと」と弁当持って家を出てしまった。

ごめんな母ちゃん、週末は雪かきに帰るから、待ってでけろ。

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実家の近くで朝早くから仕事があったので、
昨夜、しばらくぶりで生家を訪れた。
半分雪に埋もれてた。

そういや年末も友人と遊びに行ってて帰って無かった。

今朝起きたら茶の間の卓に弁当が置いてあった。
母ちゃんは台所で目玉焼きを焼いてた。

早朝出発だったので「朝飯イラね」といってたんだけど、
弁当まで作ってもらってた。
高校以来の母ちゃんの弁当だ。

もう俺ボロボロ泣いちゃって朝飯なんか照れくさくて食えなくって
「時間無いから、いかねぇと」と弁当持って家を出てしまった。

ごめんな母ちゃん、週末は雪かきに帰るから、待ってでけろ。

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小学生の時に両親が離婚して、私は父親の方に残ったんだけど、
中学生の時に父親が作ってくれたお弁当はかなり茶色かった。
けどおいしかった。
さすがに女友達には見せられなくていつも
お弁当隠して食べてたけど、
唯一『お前の弁当いつも旨そう』って言ってくれた男の子がいました。
父親は7年前に亡くなりましたが、
あの時お弁当を誉めてくれた彼と今夏
結婚します。
お父さんに直接は会ってないけれど、きっとお父さんも喜んでくれると思います。

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小学生の時に両親が離婚して、私は父親の方に残ったんだけど、
中学生の時に父親が作ってくれたお弁当はかなり茶色かった。
けどおいしかった。
さすがに女友達には見せられなくていつも
お弁当隠して食べてたけど、
唯一『お前の弁当いつも旨そう』って言ってくれた男の子がいました。
父親は7年前に亡くなりましたが、
あの時お弁当を誉めてくれた彼と今夏
結婚します。
お父さんに直接は会ってないけれど、きっとお父さんも喜んでくれると思います。

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小学生の時に両親が離婚して、私は父親の方に残ったんだけど、
中学生の時に父親が作ってくれたお弁当はかなり茶色かった。
けどおいしかった。
さすがに女友達には見せられなくていつも
お弁当隠して食べてたけど、
唯一『お前の弁当いつも旨そう』って言ってくれた男の子がいました。
父親は7年前に亡くなりましたが、
あの時お弁当を誉めてくれた彼と今夏
結婚します。
お父さんに直接は会ってないけれど、きっとお父さんも喜んでくれると思います。

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と、思ったのもつかの間。
肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しかたたぬうちに・・・。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺のために、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。

そして後日、その定食屋に行ってみた。
定食屋のおばちゃんと俺は直接のかかわりはないけど、やさしそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、 ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、がんばって作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とてもおいしかった
あのハンバーグの味。

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小さいときから共働きで、いつも忙しそうだった母。
私が高校に入学するほぼ同時期に、父と一緒に自営業をはじめ、さらに忙しくなった。
高校は給食なんて無いし、学食も無かった。
だが母はそれどころではなく、毎日お金を渡された。
購買部で売っている味気ないパンを食べている私には、
「毎日同じものばっかで飽きた」
と言っている友達の手作り弁当がもの凄く羨ましがった。

でも体育祭だけは違ったんだ。
高校だし、観戦なんかにはこないんだけど、朝、おっきな風呂敷包みをくれたんだ。
「お弁当」って。
もうね、本当に馬鹿みたいにおっきいの。
開けてみたら、馬鹿みたいに豪華なの。
食べきれるわけないじゃん!!とか文句言いつつも、
本当に本当に嬉しかった。

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