娘と二人三脚で頑張りました。そのビジネスでの話になります。
私は田舎の自宅で近所の子供達にピアノを教えてます。
娘が小さいときは遊び道具の1つとしてピアノを触らせている程度でした。
私は生徒さんのお稽古が優先になりお稽古と日々の育児で娘のピアノまで手が回らないというのが正直な話でした。
娘もピアノをきちんと弾きたいようで祖母の意見としてきちんと娘の時間も生徒さんの時間と同じく仕事の中に入れてお稽古する事と言われました。
お稽古の時間は母と娘ではなく先生と生徒してきちんとお稽古する事を提案され私はその提案を取り入れました。
娘も他の生徒さん同様にお稽古するようになりその内気がつけば娘は実力をつけ始めました。その実力を計るにあたり試しにピアノコンクールに出場させました。
コンクールには私の先輩の娘さんも同じ年で同じ部門に出場してました。先輩もピアノの先生をされていて条件は私と同じでした。
結果は先輩の娘さんは最高の賞を頂いてました。
私の娘は入選さえしてなくてとても悔しい思いをしました。
娘はまだ幼くて意味が分からなかっなようですが来年こそは先輩の娘さんに勝ちたいと誓った娘の初めてのピアノコンクールでした。
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それから小学生の間は毎年必ず同じコンクールに出ました。
そして勝手にライバルいしていた先輩の娘さんも出場してました。
結果は娘が賞を受賞しても先輩の娘さんも入賞してたりでその内子供達もお互いライバル意識を持つ年頃になりました。子供達も成長して私と娘は二人三脚でずっと頑張ってお稽古してますが先輩の娘さんは大学の教授のお稽古を受け始めたと聞きました。
正直やられたと思いました。それを聞いてのピアノコンクールでした。演奏順を聞いてショックを受けたのは私だけで無く言葉にしなかった娘もそう思ったに違いありません。先輩の娘さんの後が我が娘でした。私の心臓は爆発寸前でした。
沢山の出演者がいましたが眼中はずっと勝つ事の無かった同じコンクールでの戦いです。
大学教授のお稽古を受けてコンクールに望んだ相手。
私達親子は二人三脚で望んだコンクール。小学生中学生と中々勝てずにいました。
このコンクールは高校生部門まででチャンスはこれで最後 高校生部門で賞を受賞する意味はとても大きな意味がありました。演奏が始まり 相手の演奏をドキドキしながら聞きました。
音色が変わってる教授の音色なのかなと、それが良いのかな?私は昨年までの演奏、音色が良かったのにとコンクールを忘れて聞いてました。
これは娘は普段通り演奏出来れば何とかなるかな?と思うと又ドキドキし始めました。娘は落ち着いて普段通り演奏出来ました。演奏が終われば 身体の力が抜けて結果はどうでもよくなりました。結果発表の時がきました。
先輩達は絶対自分達は受賞するんだと言うおおらが出てましたが発表が始まり、
下の受賞者から発表があり我が娘が呼ばれるのあればこの賞かと思いましたが呼ばれず諦めかけた瞬間に素晴らしい賞で名前を呼んで頂きました。
涙が震えが止まりませんでした。最高部門での最高の賞を頂きました。先輩の娘は残念ですが入賞ならずでしたが 幼い頃から負け続けてきましたが一気に吹っ飛びました。
娘と諦めず頑張って来て本当に良かったと思う瞬間でした。
私の自慢できる娘の話でした。お付き合いありがとうございます。
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