戦時中の沖縄での話になります。
本当に悲しく泣きました。
私の叔父さんは自然の洞穴を利用して作った壕の中にいたそうです。
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他の住民、部隊からはぐれた大怪我を負った兵隊たちも隠れていたそうです。
しかし息を潜めていたのだがどうやら米軍に居場所をみつかったらしい。
「ハヤクデテキナサーイ」とマイクをつかって投降を促されたそうです。
当時、米軍は住民・軍人区別なく攻撃するものと思われていたんです。
中の住人のほとんどがその時点で死を覚悟していたがそのうちの1人が
「ずーっと壕のなかにいたからせめて一目太陽を見てからしにたいサー」
といいだしたそうなんです。
そうしたら他の人も「そうサー」とか「どうせやられるならそうしたいサー」とか
言い出したみたいでした。
米軍に投降するといった時点で日本軍の軍人は「ふざけるな」といって怒ったり
スパイ扱いして住民を攻撃したりするものだが(他の壕では実際かなり行われていた。)
そこでは物資の少ない中できるだけの手厚い看護をした住民と軍人の間で信頼関係ができあがっており
軍人達はあえてとめようとしなかったそうです。
少年だった叔父に横になりながら地面に文字を書いて漢詩の講義をしてくれた
若い将校は、「俺たちもあとからいくからなしっかりしんでこい!」といって笑顔で敬礼をした。
叔父も敬礼で返して覚悟をきめた他の住民たちと外に出た。
外に出た住民達は一箇所に集められて壕の入り口から離れるようにいわれたそうです。
指示に従うとすぐさま数人の米兵が火炎放射器で壕内を焼き払った。
もちろん、中に残った人間は誰も助からなかった。
叔父は未だに酒が入ると涙ぐむ。
のうのうと生きていて申し訳ないと。
なんであの時にみんなで出なかったのが後悔・・・。
本当に悔やんでも悔やみきれない。。。。
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