18日しか生きれなかった娘の悲しい話です。
こんな親不孝者をお許しください。
私は些細なことで親と喧嘩をして「出て行け」と言われ家を飛び出してしまいました・・・。
その年月は6年もの間に・・・。
そして家を出て3年後に知り合った女性と同棲し2年後に子供が出来たんです。
ものすごく嬉しかった。やっと家族ができたんだからと・・・。
そのとき母性愛があると同じように父性愛というのもあると気付いたんだ。
子を愛さない親は居ないと言うのも知ったんだ。
妻の検診の日は毎回産婦人科まで一緒に行った。
エコーで動きを見た日は遅くまで妻とこの子の名前や性別を考えていたんだ。
本当にワクワクした。
初めて聞いた元気な心音に「父さんはおまえの為にがんばる」と誓った。
何もかもが順調だと思ってた。
でも予定日の1ヶ月前に妻が破水をした。
切迫流産の前兆だったそうだ。
妻も元気で何も問題なんて無いと思っていただけにビックリした。
嫌な言葉が蘇った・・・。
「八月子はもたないって・・・」
詳しい検査をした時に娘の心音に雑音が混ざっている事が分かった・・・。
母子ともに危険な状態になった為、緊急手術で帝王切開する事になった。
よく晴れた10月に君は生まれた。
最初は小さく泣いたらしい・・・・。
だけど自発呼吸が出来なかったため
器官に酸素供給するための管を通す事になった。
その後の事は覚えてるけど良く覚えてない・・・。
何処からが現実で何処までが現実じゃないのか。
初めて見た娘の姿に涙が出そうになっよた。
娘にかけた最初の言葉が「生まれてきてくれて有難う」・・・・。
その後、母親に連絡を取った・・・。
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母親の声を聞いたのは実に何年ぶりだろう。
初めて人前で泣いた・・・。
母親にも見せたことの無い涙を見せた。
母親も泣いてくれた。
「孫娘には何の罪も無いのに何故・・・」と。
色々医師から説明を受けた・・・。
絶望って眩しくも、真っ暗でもなかった・・・。
いつもの生活が私と妻を追い立てた。
娘は管から母乳も飲み、オムツも替えさせてもらい、
名前も付けてやれたし、出生届も出せてやれた。
戸籍上も私の娘・・・。
可愛い。
医師からの突然の電話・・・。
最初で最後、娘を抱っこしてあげれた。
涙が出そうになった。
だけど泣かなかった。
泣く必要は無いと自分に言い聞かせた。
18日間、娘は良くがんばったよ・・・。
妻と2人で娘を荼毘に出し、小さな骨壷に骨拾いをしたよ・・・。
やっと娘は父と母が住む家に帰ってこれた。
・・・・。
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