こんな悲しい話があっていいのかと、残酷な話です・・・。
私の17歳の誕生日に母が継母であったことを聞かされた。
私を生んでくれたお母さんは、産後すぐに亡くなったそうだ。
生みの親より育ての親…なんていうが、そのときの私は今まで騙されてきたという怒りと、馴れ親しんだ母が急に他人に思え、両親の話もきかず部屋でふてくされて泣いていた。
翌日から母を「おばさん」と呼ぶようになった。
そう呼ぶと母はたまらなく悲しそうな顔をした。
その後、なにかと私に気をつかいだし、必死になる母をよけいに煩わしく感じ、口もきかなくなってしまった。
なんとなく家に居ずらくなったので、夜は出かけるようになった。
それから一ヶ月がたとうとする頃、シカトし続ける私に母が「部屋で読んでね」と手紙を差し出してきた。
が、私はその場でぐしゃぐしゃに丸め、ゴミ箱に捨ててしまった。
それを見ていた父が私をはり倒し、
震える声で「母さんはなあ…」
と言ったが、私はろくすっぽ聞かずに泣きながら自分の部屋に逃げた。
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翌日、母は帰らぬ人となった。
居眠り運転をしていたトラックが赤信号を無視し、母に突っ込んだそうだ。
即死だった。
あまりに急な出来事のため、泣くこともできず、通夜が終わった後も母のそばで
ぼう然としていた私に、父がボロボロの紙きれを渡し、一言「読め」といった。
昨日の手紙であった。そこには母らしい温かい字でこう書いてあった。
「千夏ちゃんへ 17年間騙していてごめんなさい。お父さんはもっと早くに言おうとしてたんですが あなたに嫌われるんじゃないかと思い、あんなに遅くなってしまいました
あなたの気持ち、とてもよくわかる。だってお母さん、偽者だったんだもんね…。でもね、お母さん、 あなたのことを本当のお母さんに負けないぐらい愛してるんだよ。
千夏が成人しても、 旦那さんができてもずーっと…」
泣きながら書いたのか、字のところどころがにじんでいる。
そして最後に震える字でこうあった。
「…だから、、、また「お母さん」って呼んでね。」
私が感じた寂しさを、母は17年も耐えていたのだ。
人の気持ちを考えられなかった私は、一ヶ月もの間、母を苦しめたのだ。
「お母さん…」
一ヶ月ぶりに発したその言葉は、冷たくなった母の耳には届かない。本当にお母さんごめんね・・・・。
私は本当に後悔しています・・・・。
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