ウチはもともと5人家族だった。
私が物心ついたときには、両親と父方の祖母と弟がいた。今は3人家族。
弟は肢体不自由児だった。不自由な手足で家の中をあちこち遊びまわり、他人だと何を言ってるかわからない言葉でいろんなおしゃべりをしながら毎日楽しそうに生きていた。
弟は陽気で明るく素直な性格だったため、いろんな人から愛された。自分の持ってる障害を自覚することがあまりなかったようだから、卑屈にならず常に楽しいことだけを見て生きてきたのかもしれない。
道ですれ違う人にも誰彼構わず「おじちゃん、おばちゃん」と声をかけ、相手が障害児を見て思わず怯んでいるのに、満面の笑顔で弟は声をかけた。いつの間にやらみんな、車椅子に座ってる弟と目線を合わせて話をしてくれたりしたものだった。
楽しいことが大好き、賑やかなことが大好き。そんな弟の性格が悲劇を呼んでしまうことになった。土曜日の昼下がり、団地の下ではたくさんの子どもが楽しそうに遊びまわってた。
弟はきっとそれを見たかったんだろう。誰も予測できない事故が起きてしまった。落下した2階の屋根で鼻血を噴出し、意識がないところへ母が駆けつけ、バスタオルで鼻血を抑えながら救急車の到着を待った。
私は高校生だったのだが、そのときはクラブで帰るのが遅く、学校は事務の関係で土曜日は3時以降電話が繋がらなくなるので、私は普通に家に帰るまで事故のことを知らなかった。事故の話を聞いて病院に駆けつけたときには、たくさんの機械と管に繋がれて顔半分を紫色にして苦しんでいる弟がいた。
その時の事故がきっかけになって、弟は1年後、植物人間になってしまった。当時中学生だった弟。
学校で先生によく修学旅行の話をしていたそうだ。 弟はディズニーランドに行くことを、心から楽しみにしていたらしい。家でもよく「いつディズニーランドに行くの?」と両親に質問していたと思う。
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植物状態になってしまった弟の耳元で「はよ元気になってディズニーランド行こうな」と弟の担任が涙混じりに声をかけていた。
植物状態になって半年後、弟と同学年の子どもたちは修学旅行に行った。ディズニーランドにあれだけ行きたがってたのに…、避けられなかった運命だったなら、せめてディズニーランドに行ったあとでもいいじゃないか!と誰に向かって怒っても仕方ないことで私は泣いて泣きまくった。
私が社会人になった年に弟は亡くなった。足腰もおぼつかなくなり、少し痴呆がきはじめた祖母が泣きながら弟の遺体に対面した。
「なんでわしゃあ、こんな年になって孫の死に目に合わなあかんのじゃ~~ぁ… わしが変わりに先に逝ってやりたかった~~~ぁ…」 と震える声で泣いていた。
小さく縮こまって泣いていた祖母の姿と声が忘れられない。祖母もその後、痴呆症が酷くなって入院した病院で亡くなった。
うちは5人家族だった。賑やかだったあの頃はもう帰ってこない。
祖母が死んだあと迎えた犬が、新しい家族となって静かになってしまった我が家を賑やかにしてくれた。何故か犬は、弟の位置にいる。
そして自然にやってしまってることなのだが。 家族3人が携帯電話を持っているが、3人とも着信音の中に必ずディズニーの音楽がある。両親はディズニー音楽を、いなくなった弟との繋がりのようにどこか大事にしてるようで 新機種に交換するたび、ディズニー音楽を入れてくれと私に頼んでくる。
弟のことを思い出し、涙を流すことはもうない。あれだけ一生懸命に生きた弟を、可哀相だと思うことはない。
きっといつまでもディ●ニー音楽を、着信音に使うことはやめないだろうと思う。
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