俺さ小さい頃、一人っ子で両親共働きだったから、鍵っ子って奴だった。
だからさちょっと内気で友達もできなくてさ、よく、じいちゃんの家に行ってた。
じいちゃんはさ、会社の社長でさ忙しかったけど俺が行くと絶対遊んでくれたよ。
しかも小遣いまでくれるもんだからさ調子乗って毎日行ってた。
俺さ中学に上がって段々グレてってから、じいちゃんの家にあんま行かないようになってた。
でも、小遣い欲しいときだけは行ってた。
じいちゃんはマックのポテトが好きだったからポテト買って行けば嬉しがって、
小遣い多めにくれたりてたから、またまた俺調子乗ったよ。
そんなんが続いててさ、俺が中3の10月くらいだったかな、じいちゃんが突然倒れたって聞かされた。
俺ソッコーで病院行ったよ。そしたら、じいちゃんケロってしてたな。
なんだよ心配して損したってな感じだった。でも俺、毎日病院行ってた・・・
じいちゃん小遣いはかかさずくれるもんだから。
ある時さ、じいちゃんが俺に高校の話してきた。丁度受験だったからさ。
俺めんどいから高校行かねえって言ったらさ初めてキレられたよ。
いつも温厚なじいちゃんが初めてな。
めんどいってなんじゃ・・・逃げとるだけやろうが?男なら逃げんな・・・とか言ってた。
んでさ、いきなり戦中の話されたわけ。
じいちゃんはさシベリアで捕虜になってたんだって。
そりゃもう悲惨だったと・・
その中にはさ家族を持ってた人、もうすぐ生まれてくる子供がいた人、そんな戦友も皆死んだらしい。
もう、涙も出ないくらい悲惨でさ、何度も死のうと思ったらしい。
けど、そんな時、いつもお守りとして持ってた腕時計を見てさ、唇をかみ締めて生きるぞ!って決意してたんだって。
その時計はさ、じいちゃんの親友の形見だって。
じいちゃんと親友はさ、幼い頃から一緒に悪さしたりして近所でも有名な悪ガキ2人組みだったんだって。
戦争が悪化してきてさ、じいちゃんも友人も戦争に行くことになったんだけど、
じいちゃんの親友は海軍に志願して特攻になったらしい。
最後の別れ際、
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「俺は空からお前は陸から・・・心配すんな、俺がぶっ壊してやる。靖国で待ってるなんて言わない。お前は不死身だからな」
って笑いながら腕時計を渡したんだって。
それからシベリアに抑留されても、じいちゃんは腕時計だけは取られないように隠し持って捕虜になるなら切腹しろって言われてたけど、こんな所で日本男児がくたばるかって思いながら生きたらしい。
俺さバカだからよく分かんなかったけど、軽く泣いたね。じいちゃんも泣いてた。
それ聞いて、毎日勉強したわ。毎日じいちゃんの病室のベッドの横で毎日勉強した。
んでさ、じいちゃん日に日に体が弱くなってさ、喋ることもままならなくなっていったよ。
受験前日かな、じいちゃんさ、体震わせながら、声もかすれながらさ、手を上にあげて名前呼んだから何?って言ったらさ、
腕時計だしてきて「ありがとう」って・・・
「ようやくお前に顔向けできるな」って言ってた。
多分俺と友人間違えてたんやろうな。
その夜じいちゃん死んだよ91歳やった。
思い返せばスッゲー男やったな。シベリアから帰ってきて、何も無い所から始めて、会社起こして、俺のおかんやらを育ててきたんやもんな。
強いよな・・・じいちゃん死んだ時、俺はじめて「闘う」って意味分かった気がしたもんな。
腕時計は俺が引き継いだ。
俺にとっちゃかなり重い腕時計だけど、じいちゃん、じいちゃんの親友に顔向けできる男になれるように闘ってみる。
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