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日本人に知って欲しい感動ストーリー

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人類平和を祈ります。そんな思いになる素晴らしい話があります。

この話は1890年、明治23年のこと。

オスマン帝国‥、
現トルコ共和国の船、エルトゥールル号は
トルコの軍艦ですが

日本に戦争に来たわけではなく

友好的な外交に訪れ、
横浜港に数ヶ月停泊した後、
帰国しました。

しかしその最中、台風による強風にあおられ、
紀伊大島の樫野崎の岩礁に激突、
沈没するという大惨事が起こりました。

乗組員のほとんどが海に放り出され、
587名もの方が死亡または
行方不明になっています。

一命を取りとめた乗組員もいて、

小さな島ですので
50軒くらいしかなかった
大島村の人たちは
みんなで救助に向かったそうです。

わずかに息をしている人たちは
体が冷え切っていて
村民たちは急いで自分の服を脱ぎ、
その人達を抱きしめ、
自らの体温で暖めたりしてあげたそうです。

そして、まだ命があった69名の人達を
小学校やお寺に収容し看病しました。

食料はすぐに底をついてしまいましたが、
非常食として大切に育ててきた
村民にとって最後の砦とも言える鶏を

「人の命には代えられない」と

全部たべさせてあげたんです。

更に翌日には和歌山県知事を通じて、
当時の明治天皇に連絡が入ります。

すぐに日本政府をあげて救助に向かいました。

そして生き残った69人の方を数ヵ月後に
「金剛」と「比叡」という軍艦でトルコに送り、
そして義援金もお渡ししたそうです。

そしてこの話はまだまだ序章にすぎません。

時は過ぎて、それから1世紀も経った
95年後の1985年、
イラン・イラク戦争が起こりました。

この時、イラクのフセイン大統領が

「今から48時間後にイラン上空を
飛ぶ全ての飛行機を撃ち落す」

と宣告ました。

民間機ももちろんです。
この宣言が出て世界各国は驚き、
自国の国民をどんどん連れて帰りました。

日本人も215人イランに
残っていたそうですが、
日本政府は遅れました。

本当は自衛隊を派遣したいのですが
憲法により自衛隊は海外にいけなかったのです。

日本人は大パニックです。
しかし……。

そのタイムリミット1時間15分前に

テヘラン空港に2機の飛行機が降り立ちます。

そして日本人全員を
乗せてくれたのです。
その飛行機は、なんと‥
トルコの民間機でした。
なぜトルコ側が日本人を
助けてくれたのでしょうか?

元駐日大使の方はこういったそうです。
「95年前のエルトゥールル号の
事故に際し、大島の人達や日本人が
してくださった献身的な救助活動は
今もトルコの人達は忘れていません。
トルコでは子供たちでさえエルトゥールル号
のことを知っています。

それを知らないのは日本人だけです。」
実は日本政府はどうにもならず
トルコ政府にお願いしたら、

すぐパイロットを集めて日本人を
助けに行ってくれると言ってくれたそうです。

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その時、何人ものパイロットが

「日本人の為なら」

と手を挙げてくれたそうです。

こんな話を歴史の授業で
教えてくれたらいいなと思います。

実は、この話はまだ続きがあって、
1999年にトルコ大地震があった時に、

トルコ航空で助けられた日本人が
すぐに義援金を集めて寄付したそうです。

そして今回の東日本大震災。

トルコはいち早く何百億円もの義援金を
寄付してくれたそうです。

このような素晴らしい話があるんです。日本人全員に知ってほしい感動的な話になります。人類みな平和を祈るのみです。

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