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家族

色々な縁がつながる瞬間

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色々な縁がつながる瞬間を感じた話になります。

そんな私は3人兄弟の真ん中としてどこにでもある中流家庭で育ちました・・・

お父さんはかなり堅い会社のサラリーマンで性格も真面目一筋・・・それは厳格で厳しいお父さん親でした・・・

お母さんは元々小学校の教員をしており典型的な箱入り娘・・・真面目なのだけどどこか気の抜けた天然の入った憎めない人でした・・・

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そんな家庭で育った私も何不自由する事なく中学高校とエスカレーター式の私学に通いました・・・特に問題を起こす事もなく親の言われるがままに毎日を過ごしていました・・・

でも何もかも私の敷いたレールに子供を乗せないと気が済まない親のやり方に納得が行かなくなり徐々に親に対して憎しみが湧いて行き気が付けば毎日親と喧嘩ばかりしていました・・・

私自身親との距離を空けるようになり気が付けば地元の不良とばかりつるむようになっていました・・・

行かせてもらった学校も中退し毎日のように遊び呆けていました・・・

ある時期から親も私に何も言わなくなりただ悲しそうな顔で私の事を見守り続けていました・・・

私自身もこのままじゃいけないという事を感じていましたが手を切る事によって仲間や先輩から報復が来るのが怖くずるずる毎日を過ごしていました・・・

最初はほんの興味本位で首を突っ込んだ世界が私がその本質に気付いた時には全てが手遅れでした・・・

チーム同士が抗争した時は相手側が私の家の窓ガラスを破って乗り込んで来た事もありました・・・

警察のお世話にもなり親が泣きながら警官に謝っている姿も見ました・・・

私らは極道事の一つもせず真面目にやって来たのに怖かったやろう悔しかったやろうと思います・・・

徐々にお母さん親の精神が持たなくなり常に安定剤と睡眠薬を服薬しないといけない体になっていました・・・

『私のせいだ!』

悔やんでも悔やみ切れない自責の念が私を襲いました・・・

でもその時にはもう手遅れで私では変えようもない環境と現実がそこにありました・・・

そして出した結論が自ら育った環境を家族を捨てるという事でした・・・

私が居なくなる事が今私が出来る最高の親孝行だってそう私に言い聞かせ家を出る決意をしました・・・

親に啖呵を切って出て来たものの行き場所が無く途方に暮れた私が真っ先に思い付いた所が『西成愛燐地区』でした・・・

前テレビのドキュメンタリー番組で見て日雇い労働の方々が集まって来る場所というのは知っていたので

『私は若いし体力もあるし仕事は何ぼでもあるやろ』

と思って行ったのですが現実はそんな甘いものではありませんでした・・・

僕が西成に着き最初の衝撃だったのがその人の多さでした・・・

朝の4時にも関わらず労働センターではワゴン車が立ち並び日雇いのおっちゃん達が仕事を探し何やら雇い主のような人と交渉を行っていました・・・

私も負けじと見様見真似で声を掛けて行ったのですが

『仕事定員まだ空いてますか?』

『もう来る人間全部決まってるわ』

と面白いように返って来る答えが同じでそして次々と定員を満たした車が出発して行きました・・・

その時はもうすっかり私にも余裕が無くなって必死に片っ端から声を掛けていました・・・

しかし私の思うように仕事は見つからず更に追い討ちを掛けるように雇い主から

『それはそうと兄ちゃん手帳は持ってるんか?』

『は? 手帳? 何ですかそれ?』

『手帳も知らずに西成来たんかいな? ここで働くのに必要な証明書みたいなもんや』

『どこで発行してもらえるんですか? 今日中にもらえますか?』

『ここのセンターの二階が発行元やけど例え今日手続きしたとしてももらえんの最低半年は覚悟せなあかんで』

『は半年!?』

『そらそうやがな・・・ていうかそれなかったら間違いなくどこも雇ってはくれへんで』

不安が私の中で絶望に変わった瞬間でした・・・

絶望に打ちのめされた私はセンターの近くの一角で倒れるようにへたり込みました・・・

不安や希望悲しみといった感情の糸が切れてしまい生きて行く気力が全く無くなってしまったのです・・・

着の身着のままで出て来ている分とっくの昔にお金は底をついていました・・・

後々考えたら煮炊き場などもあったのですがその時は本当にそこまで考える余裕も無くこのまま私が死ぬ事まで覚悟しました・・・

生まれて初めて死と向き合った瞬間でした・・・

そしたら親の事兄弟の事ツレや当時付き合っていた彼女の事などが思い出され止め処なく涙がポロポロ流れて来ました・・・

とことん私を責め悔やみました・・・

そして僕に関わった全ての人の幸せを心から願いました・・・

不思議と死にたくないという感情は生まれて来ませんでした・・・

そして何日が過ぎいよいよ私の意識が起きているか寝ているか分からない状態になった時

『おいお前見た感じ若そうだけど何してんだ・・・こんなとこで』

とある男性から声を掛けられました・・・

その人こそ命の恩人でした・・・

『何だ若いのに青い顔して・・・飯食ってないんだろう』

『はい』

『ほれ見てみろ・・・今にも死にそうな顔して・・・飯くらい奢ってやるから付いて来い』

と半分訳の解らぬままおじさんに付いて行き私が西成に来るまでの経緯を全て話しました・・・

おじさんは黙って私の話を一通り聞いた後

『馬鹿な事しやがって』

と吐き捨てるように言いました・・・

そして長い長い沈黙の後

『坊主ちょっと付き合え』

と突然店を出て歩き出しました・・・

私はまた訳も解らないまま付いて行く事にしました・・・

シティホテルの前でおじさんが突然立ち止まり

『お前はそこで待ってろ』

と一人フロントに入って行きました・・・

暫くして私も呼ばれホテルの一室の中に通されました・・・

『暫くだけどこの部屋を寝泊りに使っていいぞ』

『いやそんな事してもらったら申し訳ないですよ』

『一文無しの分際で知ったような口聞いてんじゃねぇ!!』

『でも…』

『いいんだよ・・・今日パチンコで大勝ちしたから』

そんな遣り取りがあり私はその部屋で二週間寝泊りする事になりました・・・

その2週間のうちにおじさんと色々な話をしました・・・

おじさんは本当に良い人で言葉数は少ないしすぐ怒るんだけど真っ直ぐな人で照れ屋で…・・・

おじさんも若かった頃は九州でバリバリ働いて妻子も養っていたのだけど病気で体を壊して会社をクビになり妻子にも逃げられ流れ流れて行き着いた先が西成だったらしい・・・

ちょうど息子が順調に生きていたら今頃は私ぐらいの年で実の息子には何もしてやれんまま離れ離れになったから路上で野垂れ死に寸前の私を見て息子の代わりにこの子に出来る事があればしてあげよう・・・

そう思ったらしい・・・

そして一日一日が嘘のようにあっと言う間に過ぎて行きました・・・

おじさんは本当に良くしてくれました・・・

朝は一緒に喫茶店で朝食を食べ食べ終わったらおっちゃんは日雇いの仕事へ行く・・・

そして私の食べる昼ご飯と私が日中に食べる分をいつも買ってくれて

『いい子で待ってろよ』

とまるで子供扱いでした・・・

私は何度も仕事手伝うよと言ったけど最後まで付いて行かせてくれませんでした・・・

そして晩は晩で一緒に食べに行き本当に親子のような関係でした・・・

おっちゃんが店のマスターに

『子供さん連れて来はったのですか?』

と聞かれ本当に嬉しそうな顔で否定していたのを憶えています・・・

私も今までこんなに人から親切にしてもらった事はなかったから本当に嬉しかった・・・

世の中捨てたもんじゃねぇなって・・・

初めて心から信用出来る大人に出会えた喜びで一杯だった・・・

でも同時に私の存在がおじさんに負担を掛けている現実が堪らなく辛かった・・・

この生活はいつまでも続くものじゃないと何より私が解っていたから・・・

いつ私からこの事を言い出そうかと悩んでいた・・・

そしてある晩おじさんから私の部屋に入って来て話し始めた・・・

『この二週間お前と知り合えて楽しかったよ・・・でもいつまでもお互いにこんな生活続けて行かれへん・・・お前これからどうするつもりや?』

『うん・・・取り敢えず西成を出て仕事を探しながら交通費を貯めて知り合いの所を訪ねて行くつもりやねん』

『そうか・・・その方がええ・・・この街なんか一日も早く離れ養ってもらえる所があるんやったらそこに行きなさい』

おっちゃんはそう言って最後に五千円を私のポケットにねじ込んでくれました・・・

『いやおっちゃんかまへんって・・・そこまでせんといて』

『かまへん・・・とっとけ・・・

ええか? おっちゃんと約束してくれ・・・

まず二度とこの西成に戻って来んな・・・この街は人間の墓場みたいな所や・・・

お前にはおっちゃんと違って若さという可能性を持ってる・・・だからこんなとこでお前の限りない可能性を無駄にはするな・・・

ほんである程度生活が安定したら両親に連絡したれ・・・元気で頑張ってるの一言でええから・・・

どんな子供だって親からしたら子供は宝であり夢や希望や・・・

子供に幸せになってもらいたいと願わん親は無い・・・

だから絶対連絡はしたれ・・・約束できるな』

『うん…』

もうその時は泣けて泣けて人との別れでこんなに悲しいのは初めてでした・・・

『あほ・・・男やったらいちいちピーピー泣くな…・・・また明日な』

とだけ言い残しおじさんは部屋を出て行きました・・・

その日の朝は喫茶店で朝食を食べている時から二人とも黙ったままでした・・・

そして別れの時ホームでおじさんがポツリと

『私が甲斐性無いばっかりにすまんかった』

『そんなん言わんといて・・・今までほんまありがとう・・・私お礼言っても言い尽くされへんわ』

『もしお前がどーしても頑張ってまた挫折した時は西成帰っておいで・・・また出会ったあの場所で会おう・・・わしも偶に見に行くようにするから・・・ほんま体に気を付けて』

そしておじさんとは地下鉄の動物園前のホームで別れました・・・

5年前の暑い夏の日でした・・・

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本当に泣ける話を集めてみました・・・。


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