私は今、介護福祉士として働いている...
思い出したくない戦争の泣ける話です。
妹が今度修学旅行で鹿児島へ行くらしく、職場でその話をしていたら、利用者さんの一人が
「鹿児島か…」
と暗く呟いたんだ...
その方は男性で、お年はもう80歳を超えているんです...
でもまだ元気でよく話すし、よく食べるし、いつも明るかった...
だからそんなに暗くなったのが不思議で、何があったのか聞いてみた...
その利用者さん(以下cさん)から聞いた話をします...
当時は戦争の真っ只中でした...
cさんは三人兄弟の長男として生まれたらしく、下に妹が2人居たそうだ...
小さい頃に父親が死んでしまい、女手一つで母親が育ててくれた...
しかし、生活は苦しかったらしい...
戦争も終わりに近付いた頃、鹿児島の知覧で特攻隊の活動が始まった...
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特攻は、爆弾を積んだ飛行機で敵の艦隊に突っ込むというものだ...
当時15歳だったcさんは特攻隊に志願した...
死亡手当のようなものが支給されるらしく、それで母親や妹たちが幸せに暮らして行けるなら、自分が死のうと考えたのだそうだ...
15歳の少年が、だ…...
だが、cさんが特攻隊員として出撃する前に、戦争が終わってしまった...
家に帰ると、母親はcさんを残して死んでしまっていたらしい...
命を懸けて守ろうとした人が死んでしまった...cさんの悲しみは想像を絶する...
特攻隊員として死んで逝った人は『軍神』と呼ばれるらしいが、生き残ってしまったcさんは近所の人から、
「軍神のなりそこない」「死ぬのが怖くて逃げ出して来た」
など、散々な言われようだったらしい...
cさんはそれに耐えられず、母親の後を追って死のうとした...
しかし、まだ幼い妹が2人残されている...
だから死ぬのは思い留まって、妹を立派に育てようと決めたらしい...
そうすれば母親も浮かばれるだろうと...
cさんと2人の妹は、それから力を合わせて生きて行き、妹は2人とも嫁に行った...
その後、cさんも結婚し、現在は幸せに暮らしている...
私はこの話を聞いて、勤務中だというのに涙が止まらなかった...
家に帰ってから妹に話すと、妹も号泣していた...
今、私の妹がちょうど15歳だ...
妹を見ていて思うのだが、たった15歳の少年が、家族のために死ぬなどと考えられるだろうか...
毎日食べるものや寝る場所に困らず、いつ爆弾が落とされるかという不安にも晒されず…...
幸せだと思わなければならないと思うんだ...
本当に本当に・・・。
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戦争の真実はどこにあるのでしょうか?
おじいちゃんは戦争の話が嫌いでした